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阪神・鳥谷敬 三塁転向が転機に 実働14年目2000安打は日本人最速 [プロ野球]

◇セ・リーグ 阪神8―3DeNA(2017年9月8日 甲子園)

阪神・鳥谷敬内野手(36)が8日、DeNA戦の2回に右中間適時二塁打を放ち、史上50人目の通算2000安打を達成した。

生え抜きでは83年の藤田平以来34年ぶり2人目。阪神に在籍した選手では初めて本拠地の甲子園球場で成し遂げた。

実働14年目での到達は日本人では長嶋茂雄(巨人)らに並ぶ最速。1877試合連続出場の鉄人が大きな勲章を手にした。


昨年オフに大阪市内のホテル行われた球団納会を前に金本監督は、そのホテルの一室を借りて鳥谷と福留の2人と面談をしていた。金本監督は、「二塁・鳥谷」「一塁・福留」のプランを抱いていたが、遂行を前に本人達の考え方を確かめたかったのである。

鳥谷は二塁コンバートを拒否、「ショートで勝負させて欲しい」と信念を譲らなかった。
 
「ここで踏ん張れるかどうか。野球人生のポイント。ダメだったら辞めるしかない。できれば何年もできる」。

2014年オフに海外FA権を行使してメジャー移籍に挑んだが、交渉が成立せず阪神と2019年までの5年の長期契約を結んだ。

試合に出ずとも、年俸が下がることがないが、残り2年の契約を捨ててでも引退する覚悟があったという。鳥谷の親しい関係者からも「ダメなら本気で引退すると思う」という話も聞いた。

動体視力を高めるトレーニングに取り組み、知らぬうちにバッターボックス内で投手に対峙する体の向きが微妙にゆがんで狂っていたバッティングを修正、本来のスタイルに戻す作業に終始した。

だが、「同じ力なら若手を使う」と、金本監督が鳥谷に高いハードルを設けたキャンプでは、まだ本格的な実戦がスタートする前に、遊撃競争は、北條の右手が挙げられ、二塁へのコンバートを余儀なくされた。

三塁を予定した新外国人のキャンベルが、ケガで開幕に間に合わなくなると、わずか1週間で三塁へ回された。

正当な遊撃競争だったとは言いがたい結末だったが、鳥谷は愚痴ひとつ漏らすことなく、三塁のプロフェッショナルになることを追求した。

そして、その北條には、「俺は何も思っていない。何も気にすることなくプレーすればいいんだ」と、優しく言葉をかけた。

勝負のシーズンで鳥谷は打率3割をキープするまでに完全復活、2000本安打をやってのけたのである。


猛虎史に、その名を刻む一打だった。プロ14年目、1956試合目で2000安打に到達。晴れの舞台は努力の汗と悔し涙がしみこんだ甲子園球場だった。

王手から歩みを止めず、鳥谷は第1打席で快挙を成し遂げた。

「1打席目に決めないとプレッシャーがかかると思った。目標にも、考えたことも、打てるとも思ってなかった。500本ぐらいで終わるのかなと…」

二塁ベース上では万雷の喝采を受け、万感の思いがこみ上げた。

2回1死一塁。2ボールからの3球目だ。井納のフォークを右中間へ。入団当時から大きく変わらないしなやか打撃フォームから放った一打は反撃の適時二塁打となり、阪神に在籍した選手では初めて本拠地で決めた。

「たくさんのファンの前で2000本目を打てて良かった。支えてくれた家族のボールはプレゼントしたい」


周りにはエリート街道に見えても順風満帆ではなかった。07年9月は肋骨骨折。10年5月には腰椎を骨折し、11年5月には右手人さし指の爪がはがれる重傷を負った。15年6月にも肋骨を骨折。

度重なる大けがに見舞われても乗り越えた。遊撃のポジションに強くこだわり、「絶対に試合に出る。1イニングでも休むと奪われる怖さがある」と執念を一番の原動力としてグラウンドに立ち続けた。

常に危機感を持ち、肋骨を痛めた07年は球団に隠れて病院で検査を受けたことも。

「もし何か聞かれたときに大丈夫と言えるように先に病院に行って検査した。でも、骨折だった…」。

トレーナー室を訪れることは月に2回程度で、アイシングでさえ周囲の目を気にする。体のケアは自費で購入した数多くの治療器がある自宅が拠点。

高熱に見舞われた14年春に5日連続の点滴治療を受けながら出場した事実を球団内で知る者はいない。

そんな「鉄人」の強い心も大不振に陥った昨季だけは折れそうになった。誰もいないロッカールームで背中を丸めてメンタル系の本を読み込む姿を選手の一人が目撃するほど追い込まれていた。

思い詰め、目の状態も本調子ではなくなった。「駄目なら辞めるしかない」。悲壮な思いで再起した。

数多くの苦難を乗り越えて復活。本心は遊撃手として偉業を達成したかった。ただ、三塁転向を機に、より打撃への思いは強くなった。

「三塁手は守るだけでなく、打たないと試合に出られない」。顔面死球で鼻骨骨折した5月も強じんな精神力で耐えた。

翌朝には出場のためのフェースガードをつくり、2日後は午前から別のトレーニング施設で体の動きを確認してから球場入り。これぞ、鳥谷の流儀だった。

寮暮らしの頃は当時の山本晴三寮長がナイター後の深夜に室内練習場で打ち込む姿を何度も目撃。努力で弱点だった内角を克服した。

05年冬には優勝旅行先のハワイで一人トレーニングに励んだことも。たどり着いた晴れの日も通過点だと受け止めた。「優勝できていない。勝利に貢献できる1本を積み重ねていきたい」。

虎で生まれ育った努力の天才は、さらなる高みを目指している。

 ◆鳥谷 敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日、東京都生まれの36歳。聖望学園では3年夏に甲子園出場。早大では2年春に六大学リーグで3冠王。2度の首位打者、5度のベストナインに輝く。03年ドラフト自由枠で阪神入団。04年9月9日のヤクルト戦から1877試合連続出場を継続中。11年に最高出塁率で初タイトル。ベストナインは6度、ゴールデングラブ賞は4度受賞。13年WBC出場。1メートル80、78キロ。右投げ左打ち。


また、鳥谷は通算1000四球まで残り9。2000安打と1000四球を両立すると、歴代最多四球の王(巨=2786安打、2390四球)らに次ぎ史上15人目で、チーム初の快挙となる。


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